私の(俺の)観光大作戦!



        「私の観光大作戦!」

九州のオレンジ食堂のように(熱海→下田まで)2両の車両をレストランにして、途中下車をしながら、
時間をかけて、海岸線のそばをゆっくり走る。

例えば)伊豆高原下車 60分 さくら4月頃、足湯など
    稲取下車 20分 駅近く、吊るし、石引見学

    河津下車 60分 さくら2月頃
   今井浜下車 45分 海にも出られる。
※今井浜東急ホテルのコーヒー、ケーキ付、色々な所でお土産がつきます。
 ホテルやレストランが前菜からメインまで、時間によって、人数分、色々な駅から料理を
 入れ込む。温かい料理は温かいうちに、生物は新鮮なうちに。九州のオレンジ食堂電車は、
 電車の中でフルコースの食事ができて、1人4時間ほどの旅で21,000円ぐらいするのですが、
 予約が取れないほどの人気です。


【パワースポット ハート探しの旅】(下田)
   -女友達で、ハート探しの旅してみませんか?-
   -「夫婦ラブラブ恋人」2人のハート探し旅」-
下田には、ロープウェイの所に縁結びの名所や、田牛にハートの岩があります。
それが、パワースポットになりませんか? 

・ロープウェイの所にハート型のオブジェにハート型の南京錠。
(ガチャガチャで販売して、何個かに1つ、色違いのラッキー錠)

・サスケハナの船内に隠れハート(7ヶ所くらい)
 (ディズニーランドの隠れミッキーみたいなもの)

・海の方から見える山に(ロープウェイからも)山に、ハート型のつつじや桜、
 菜の花など、季節によって色が変化する花や木を植える。

 夜もライトアップ…ライトアップで、メッセージなど予約で出来たら…)
・八幡神社にハート型の絵馬 ・田牛のハート型の岩・弥治川の石垣にハート型を入れる。
・弥治川の近くのお店、喫茶店など、カレーのご飯がハート、人参がハート、パンやクッキーが
 ハート、ストラップ、ハンカチなど小物もハート。

 ソフトクリームなどもハートのチョコを付けたり、市内にスタンプラリー店を作る。
・マイマイ通りの街路樹を、了仙寺まで香りのジャスミンの木にして、その木にハートの
 プレートを下げて、そこに、了仙寺まで謎解きの解説がある。
(恋愛上手又は良縁成就ヶ条みたいなもの)
・爪木崎の水仙の花、あじさいの花の季節には、100円ショップなどにも売っている
 ハート型のオアシスで…予約で盛り花など(フラワーアレンジメント)

・ハートのスタンプラリーを作って、サスケハナ(船の絵)や弥治川(川の絵)の石垣など、
 ハート(絵の中にハートを探したところをチェック)マップを作る。

(マップ掲載例)
サスケハナ、ロープウェイ、ハートの石垣、喫茶店やお食事処、八幡神社、田牛の岩、爪木、あじさい、了仙寺
                ※5つためてプレゼント。駅や色々な場所に置く。

・ホテルの食事にもハート型を入れて…ハート型の豆腐やハート型のあじの干物。
 パジャマやタオル。お部屋にステッカーをハートにしたワインボトル。ハート探しの旅で予約する。

【妊活 少し休んで夫婦でリフレッシュしませんか?】(稲取)-ゆったり、のんびり、時々神頼み-

 稲取には、古くから伝わる雛の吊るし飾りがあり、子供の健康と成長を祈った伝統があり、
 東伊豆にある「はさみ石」は、見方を変えれば、夫婦が子供を抱えているようにも見えます。
 また、どんつく祭りも夫婦和合の祭りです。

 今、日本中に、子宝に恵まれない夫婦がたくさんいると思います。
 まず、どんつく神社の周りに花や木を植えて、参拝できるよう、きれいにします。
 はさみ石のところには、鳥居や賽銭箱も置いて、参拝できるように、階段を整備し、下まで降りられるようにします。
 子宝、安産、夫婦円満、良縁成就など。ゆったり、のんびり、リフレッシュの旅で予約。
 お客様に2,750円を負担してもらい、ホテルにお泊りのご夫婦には、青(父)、赤(母)、白(子)の
 3本の糸で三つ編みをして組み紐を作ってもらいます。

 その紐に5円玉、50円玉を通して、八幡神社で子宝の祈祷をしてもらいます。
(観光協会やホテルの人などがお百度参りした写真をつける)
 そして、そのお金は、はさみ石へ2,500円、250円がどんつく神社へと奉納。
 お賽銭は、道路や神社周りの整備や返済に回します。
 自家用車の人にはマップを、電車の方には、駅よりタクシー会社の割引券、
 ホテルは各ホテルからマイクロ乗り合わせ(1日2回ぐらい、ホテルが交代でマイクロを出したらいかがですか?)

 どんつく神社とはさみ石のところに、小さな受付(社務所)を作り、さらし布(おむつ1枚分)に寿の赤い文字を入れて、

寿
氏名 はさみ石 → 女性の氏名(ピンクさらし)どんつく神社 → 男性の氏名(白さらし)
   2枚のさらし布(おむつ)をお守りにしてもらう。
   さらし布と交換で賽銭管理をする。ホテル、観光協会が交代で社務所受付。
   河津や下田のホテルも同じように、賽銭所を作って、マップ、タクシー割引券、マイクロ利用券など
   他町にも少々負担してもらう。

   稲取から次の日には下田に泊まるハートの観光を、下田から次の日には稲取へ、子宝と安産の観光を提案します。

                               下田市在住 匿名希望


         「私の観光大作戦」の『理念』について





                              下田市在住 匿名希望


          「私の観光大作戦」




                              川崎市在住 野崎 茂










                              横浜市戸塚区在住 杉本 武


             「私の観光大作戦!」

◎観光政策として、町並みの区画・整備美化清掃活動の徹底

下田に関してですが、自動車の通る道路よりも、観光客が歩いて通る町の通りや海岸線など、
清掃作業がいき届いていないところや、整備されていないまま、何年も同じままの場所が多いように思う。

観光地として、来客を招くならば、市の職員を中心に市民で見回りながら、整備清掃していき、時代と共に、
自然や歴史を残しながらも進化していく必要があるので、各地域で毎年テーマにしながら、
街並みを大切にする意識を市民自身がもつようにすることが、大切だと思う。


◎遠いけど、気持ちでは誰もが訪れやすい観光地を目指す!

旅行をするには、時間とお金の余裕が必要となるのですが、下田を気に入ってくれて、
何回も訪れてくれるリピートの客もすごく大切ですが、行きたい気持ちがあっても、
なかなか訪れにくい層の人達にも来て頂けるようにすることが大切だと思います。

具体的には、マンスリーで期間を設けて、例として)シングルマザーやシングルファザー対象のイベント
(花火、写真撮影、優待など)、祖父、祖母、叔父、叔母に育てられた方々(両親がいないなど)
身体が不自由な方々なども訪れやすいような、街作り、観光地を目指していくことが必要ではないかと思います。

外から見た下田がどう感じられているか、美しい自然やおいしい食べ物、料理、温泉や景色、
癒しを求めて訪れてくれると思うのですが…。

誰もが年間を通して、いつ来ても良かったと思う街にするには、夏の海の季節や食べ物が美味しい行楽シーズン、
河津桜などに頼らず、老若男女、貧層、富裕層に関わらず、安心して訪れやすい政策が必要だと思います。
まずは市民が、観光客からお金を落としてもらうではなく、
とにかく、足を運んで来てもらうという意識を持つことが大切だと思います。


                             下田市在住 楠山康弘


             「私の観光大作戦!」

はじめまして、42歳自動車板金業を個人経営でさせて頂いております
まったく観光業でもなく大それた提案などございませんが、一般市民の一人として書かせて頂きます。
下田の歴史関係、温泉、アウトドア関連のアイデアはたくさん出ていると思います。
私的には少しアートを街に点在させていくのも一つの観光資源になると思います。
ありきたりですがシャッターに、ポップアートで下田の歴史人物を描いたり、オブジェを街中に点在させたり、
ひとひねりある作品を街中に。下田には高校以上の学校がありませんので、県内外とはず、
大学生の美術部や一般のアート好きな方でも。もちろん地元の子供たちの落書き道路などまったく
自由な通りや場所を作って、書いてもらったりするのも良いと思います。

もちろん大きな作品やオブジェなどにはある程度ルールは必要ですが、瀬戸内海の小さな島にまで、
観光目的の一つになるくらいですから。(ベネッセがバックアップしてはいますが直島など)
どうしても季節要素で行きますと、年間通しても夏便りになってしまいますから、
このように季節関係なく、いろんな作品が点在する街も良いものかと、
これもマネになってしまいますが、私なら行ってみようと思う観光地の魅力の一つです。

もうひとつは、観光になるのか?ですけれど、地元の住民が、ある時間になったら同じ色の服や帽子を
被るなど人で観光地としてアピールするのも面白いのでは。

今日は青い街の人々、来週の木曜日の15時はオレンジの街の人々など。
何かを作るでもなく、下田の人そのものが観光の目玉になってもらえるかなと、
まったく素人の意見でありますが、投稿させて頂きます。


                                  下田市在住 梅田直樹


              「私の観光大作戦!」


(1)反射炉跡(アート)祭の開催

    温泉や建物で他の観光地より秀でることは簡単なことではないが、他の観光地が真似したくても真似できない
    歴史的事実を、感動的な出会いの演出をすることにより観光客の皆様にご提供できたら、他の観光地より秀でる
    ことは可能であろう。


(一)現在、「反射炉跡」として認識できる物はバス停の標識だけである。
   開国日本で最初に「反射炉」を造築しようと計画され、完成まではいたらなかったが
   「反射炉造築の息吹」のある地が下田市高馬地区である。

(二)今では、忘れ去られようとしている「反射炉跡}を「反射炉跡(アート)」として、光の当たる言葉・地区にしたい。
(三)反射炉跡(アート)祭会場]反射炉跡を取り囲むように稲生沢川沿いには管理道路が数百メートルもあります、
   その脇の隣接地の理解を得て、山・農地・空き地・庭等々の空きスペースを募集したアート作品の展示会場とする。
   (イメージは札幌雪祭り・河津桜祭・風の花祭り)

(四)[作品募集方法]「反射炉跡」の土地はかつては「竹麻神社」の参道脇近くであったと想像できます。
   ですから、作品は「竹麻」つまり自然素材を中心に募集したら良いと思います。その作品の規模にもよりますが、
   作品の材料により、山里整備・孟宗林整備になるのではないかと思われます。(最初は案山子に近いような作品
   が多いでしょうが?・札幌雪祭りなどの最初の作品はどんなものだったのでしょうか?)

(五)「河津桜祭」や「爪木崎水仙まつり」等々の第1回の開催はどんな感じで開催されたのでしょうか?
   まず最初は1週間ぐらいからでしょうか?花や雪祭りと違い、好評であれば期間延長は好評に合わせることが可能でしょう。
   (資金さえ可能なら、有名作家の賛同も可能ではないでしょうか? 先日、テレビで放置竹林・里山再生をかねた
   フラワーアレンジメントの華道家・辻雄貴先生の作品を放映していました。)

(六)韮山の反射炉が今年の夏頃には世界文化遺産の認定が受けられそうだという情報があるようです。
   「反射炉跡(アート)祭」の開催により、元祖反射炉造築計画地として高馬地区にも多くの観光客の皆様に来ていた
   だけたらと思います。


(2)浄化センターを世界一の無臭・高環境の浄化センターにし、周辺整備もする。

    間戸ケ浜公園に坂本龍馬の像が立っている。その像の目の先は「浄化センター」である。
    おそらく、間戸ケ浜公園から下田湾を眺める観光客の皆様の目の行く先も「浄化センター」であろう。
    この立地に「浄化センター」があって好意をもつ下田市民や観光客は数少ないであろう。
    これを、逆手に取って「浄化センター」の魅力があってこその下田湾の魅力的な眺望にできないだろうか?


(一)[繁盛店のトイレと下田市の浄化センター]今の時代は繁盛店ほど「トイレ」にお金をかけている。
   「トイレ」と「浄化センター」は違うというだろうが、同じような発想をしてみて、「浄化センター」周辺の
    いわば黄金の観光立地を将来までも現状の磨かれているとは思われない観光立地にしておかないで、
    黄金の地に変え、観光客がおしよせる繁盛地にしてはどうだろうか・・・?「あれが下田市のランドマークの
    浄化センターですよ。」と胸をはって言えるような「浄化センター」にすべきである。

(二)[世界一の無臭・高環境の浄化センター]もしも、このような浄化センターになれば世界中から視察団等々が見学
    に来るであろう。無臭・高環境にする技術等々は日本の企業は世界一であろう。たとえばタイルなども、
    匂いを吸収する製品があるようです。これらの情熱溢れる複数企業に一丸となって共に「世界一の無臭・
    高環境の浄化センター」を作ろうという旗を掲げることはできないだろうか・・・?

(三)[吉田松陰の「国を思う志の心」が溢れる土地である]吉田松陰の志が遂げられず、おそらくびしょ濡れで
    やっと這い上がったであろう土地でもあります。下田市民としては赤絨毯を敷いて迎えてやりたい、万来の拍手
    で志を労ってやりたい、そういう土地でもあります。
    講演会で一人の講演者の話を聴いて多くの聴講者が心を熱くして帰路に着くように、吉田松蔭の「国を思う志の心」
    を観光の帰路にお持ち帰りいただける地でもあります。いつまでも今のままにしていくにはあまりにも、
    黄金の土地としてもったいなさすぎます。「繁盛も大切だが、下田市民の心として、何処よりも最初に整備するのは、
    この土地でしょう。」「そして、整備するのはNHKで「花燃ゆ」が放映されている、今でしょう・・・。」

(四)[浄化センター周辺整備]整備が完了すれば、おそらく観光客の数は格段と増えるでしょう、数が増えれば、
    民間業者によりいろいろの施設もできるでしょう。レストラン・喫茶店・宿泊施設等々・・・。
    下田湾の風景として貸しボートなども賑やかでいいですね。下田湾ですから白鳥のボートでなくて、
    黒船のボートも絵になりそうです。

                                       下田市在住 渡邉雅三

           「アウトレットモール」


伊豆には「開国下田みなと」をはじめ、「道の駅」が交通の要衝にいくつかある。
その「道の駅」に併設するような形で、アウトレットのショッピングモールがあったら、
日本人は勿論、観光で訪れる外国人にも喜んでもらえるのではないだろうか。
全国に誇る泉質の異なる沢山の温泉を楽しみ、季節折々の、伊豆ならではの食材を使った
料理に、舌鼓を打ち、名所、旧跡を散策する、定番の観光三点セットに、プラスαを加味したい。
世界に類のない速さで、日本の高齢化は進んでゆく。
しかし、六十歳台、七十歳台に入っている人でも、元気で旅行に出かける人も沢山いる。
特に女性は旅先で買い物するのが好きだ。
年齢にかかわらず、アウトレットモールが好きだという知人が、私の周りには沢山いる。
今いち元気のない伊豆へ、人の流れをひきこみたい。
          
                                    下田市在住 中川洋子



          「鯛の鯛で、金運UPの街下田を!」

私は、下田でペンションを営業しています。
営業して4年が過ぎた処ですが、お会いするお客様との会話で下田の金目鯛のイメージが少ないのに驚きました。
また、ご存知あるお客様では、煮付け料理がもう飽きてしまった等とおっしゃる方もいる状況です。
そこで、「金目鯛」水揚げ量日本一を誇る下田と「金目鯛」という貴重な魚のイメージ両方を良い形でPRして、
下田の観光を盛り上げる事を考えてみました。

宿でも試しているのですが、金目鯛のカマの部分にある鯛の鯛と言われている部位をお客様に自由に持ち帰って頂いております。
この事は、「金目鯛」という魚からお財布に入れると金運がするというコメントをつけてご自由におとりください。
と置いております。以外に沢山の方にお持ち帰り頂いております。
ただ、そのままだと貴重なもの。本当にするものなのか?とちょっとご利益にも薄い感じに思い。
その鯛をお守りに入れてお渡しする事を今後検討しております。

これを、全体に広げる事で金運の街下田!という事で観光客集客に広がるのでは?と考えます。

(添付ファイルにて写真)



道の駅(ベイステージ)に金目鯛を祀る社(象徴)を造る事により、更にわかりやすくなると考えます。
昨今では、お箸をうまく使ってお魚をきれいに食べれない人が多い中、
きれいにお魚を食べて金目鯛の鯛の部分を割らずに取り出し、
それを持ち帰れるようにしてあげるとお子様連れの観光客の方々がお箸の文化とアトラクション、
ご利益3つを楽しんでお帰り頂けて良いのではと思います。

下田に骨を埋めるつもりで、埼玉県より引っ越してきてまだ数年の若輩者ですが、
下田市の自然の恵みを多くの人に体感して頂きリピートされ盛り上がって行けたらと思い、
今回メールさせて頂きました。宜しくお願い致します。

           下田市在住 愛犬と過ごす海辺のお宿 ムーン・リバージュ.西澤


            「下田に栗原はるみ通りを!」

1月30日伊豆新聞記事
『「大仁に“長嶋ロード”を」伊豆の国市
プロ野球・読売巨人軍の終身名誉監督である長嶋茂雄さんが現役時代に自主トレに励んだことで知られる
伊豆の国市大仁地区で、道路に“長嶋ロード”の愛称を付ける計画が進められている。
多くの長嶋さんのファンに訪れてもらうことで、地域活性化の起爆剤にすることを目指す。』
を読み感心しました。
そして私が以前から密かに考えていた思いがこみ上げて来ました。
料理研究家「栗原はるみ」さんのご実家のある下田の商店街に「栗原はるみ通り」を作ったらいいのでは…。
という思いです。
私も大好きな方ですが、2月12日のNHK今日の料理『チョコブラウニ―・りんごの簡単ピザ』を見て、
改めて『食』に対する姿勢を学び、心も豊かになりました。
ワクワクして明日からの生活に役立てようと思いました。

栗原はるみさんが、下田出身である事が、市民としてとても嬉しく思います。

以前から栗原はるみさんのレシピを参考にする事はありましたが、今年のお正月に作った「お雑煮」の
美味しさに、感動してしまいました。
栗原はるみさんがよく買いに来るという下田の「山田鰹節店」の「かつお削り節」50g 
「水」  6カップでだしを取り「だしをきかせたしょうゆ味」このだしだからこんなに美味しいんだ!
と、だしの大切さを思い知らされました。
ポン酢もはるみさんのレシピで作ってとても美味しいので、一昨年の冬から殆ど買っていません。
2014年12月5日の全国紙の記事でも
「栗原はるみ(67)は、『ハルラー』と呼ばれるファンを生み、社会現象となった。…」とありました。
「ほめられなくてもいいじゃない。楽しかったら」。料理の楽しさを伝えたいと話す栗原。
の写真に、お人柄を感じます。

クリスチャン新聞2014年9月号の飯島寛子さん(世界の第一線で活躍したプロ・ウィンドサーファー
飯島夏樹さんと結婚。4人の子どもを授かったが、夫は肝臓ガンのため2005年に召天。)
の連載『ハワイからの手紙・やさしい風に吹かれて』の中に、
「(前略)食について思い巡らす際、いつも心に留めている方がいます。
それは私が尊敬する女性で、ラジオの仕事でお会いしたことのある料理研究家の「栗原はるみ」さんです。
栗原さんは料理の力を信じ、家族のためこの一事に心を注いで取り組んでおられる方です。
ある番組で「普通の暮らしこそが何よりの幸せ」と語っておられました。
その日々の食卓を大切にするという思いに、私は深く共感しています。
美味しいご飯が待っている家には誰もが帰りたくなるもの。
「ママ、きょうの夕食は何?」と夫や子どもが目を輝かせている時、家庭の中に幸いが生じるのだと、
栗原さんの言葉から教えられました。」

「食」の大切さは私も日頃から感じています。

勤務先の保育園ではやはりきちんと「だし」をとり調理し、「自粉」で作ったクッキーのおやつ。手作りパン。
クリスマスには手作りケーキのお持ち帰り。
子供達は、幸せだと思います。これも立派な地域ブランドだと思います。
この「食育」が子供達の中で育ってくれる事を願っているのですが…。

これを機に『食』を真剣に考える気運が高まれば嬉しいと思います。
『食』は人づくりにとって、とても重要な要素だと思います。
栗原はるみさんは以前「下田親善大使」になっていたはず…

静岡には栗原はるみのお店が、浜松にしか無い事も「ハルラー」の一人としてとても残念で、疑問でもありました。
「ベイステージにお店とカフェがあったら素敵だな~」と移住して間もない頃から、考えていたように思います。

2月24日の伊豆新聞「下田」の記事
『商業施設の建設が計画されている下田市一丁目、国道135号沿いの南豆製氷所跡地で23日、地鎮祭が行われた。
関係者が工事中の安全を祈願した。
3月中に着工し7月にグランドオープンする予定。
西伊豆町でキャンプ場を運営する「ヴィレッジ・インク」(橋村和徳代表、下田三丁目)が計画している。
約千平方メートルの敷地に木造平屋3棟(レストラン棟、カフェ棟、マルシェ棟)を建設する予定。
レストランは旧南豆製氷とおなじ構造を採用し、客席から見えるようにする。
地鎮祭で土地の所有者田中俊昭さんは「地鎮祭を出発点として下田のまちを活性化する起爆剤になってほしい。
長い目で見届けてほしい」とあいさつした。橋村代表は「ワクワクすると同時に身が引き締まる思い。
グランドオープン前からイベントを行っていきたい」と話した。』
を読み、以前計画を知った際、職場の保育園に子供を預けに来る橋村代表の奥様に「私も移住者なので応援しています」
「ありがとうございます。うまくいくといいんですが…」と会話したものの、何かした訳でもなく、
その後どうなったのかと気になっていましたが、新聞記事を見つけ、安心しました。

そこから入ってしばらく行くと、「栗原はるみ通り」があり、願わくば下田にしかない「栗原はるみショップ」があり…
考えているだけでワクワクします。

2月27日の伊豆新聞の記事
「離島からの挑戦  最後尾から最先端へ島根県海士町長・山内道雄さん河津町で講演」
を読み感動しました。
本当は聴きに行きたかったのですが、残念でした。          
「役場全体で行政改革、わが身削り住民に本気示す」
「『ないものはない』ある資源生かす、高品質な島ブランド好評」
「Iターン者、地元民、研修生…まちづくりの主役は『人』」
どの内容も素晴らしいと思いましたが、中でも「まちづくりの主役は『人』」の中の
「よそ者と漁業後継者である若者、のぼせ漁師のばか者の組み合わせが成功をもたらした」
と舞台裏を明かした。」
「Iターン者に聞けば『海士には仕事はないが、宝物が眠っている。生き方を変えたかった』という。
そうした人たちが封建的な島に新しい風をおこし、多様性をもたらした」と語る山内町長。
「私は役場職員に『金がない、前例がない、制度がないからできないはダメだ。だったら知恵を出せ、
金を取ってこい』と言っている。地域づくりの主役は人なのです」が印象的でした。

「日本には地下資源が一つだけある。それは勤勉だ」
吉田茂(内閣総理大臣)



                               
下田市在住 佐生綾子


          「私の観光大作戦!」

下田の観光が下降し、下田はもう無理のような気がしていましたが、今度の大作戦に
参加してみようとペンを取りました。


案1 冬に咲くリトルエンジェルという木があります。冬は花のない時期なので、市内
   の道端に植えたら良いのでは…河津桜の前に咲く花ですので、どうでしょう?
            (今植えてある大樹はやめて、リトルエンジェルを植える)

案2 町中のあじさいは、アメリカジャスミンに変える。

案3 私が下田に来てから46年になりますが、初めて下田に来たとき、道から見える海に
   感動したものですが、今は、草木、竹が伸び放題です。木々の成長にも観光協会が
   目配りするべき。自然にある海岸線を利用し、雑木は切る方がよいのでは。


案4 ベイステージは漁協の建物でしょうか?海側が表で、道路側が裏でしょうけど、
   建物の建材の色がいまいちです。初めて来たお客様は、漁協の物置だと思っています。
   もう少し、ガラス張りにするとか、きれいにしたらどうでしょう?(もちろん、色は必
   要です)そして、南伊豆のように、一般の人の農作物等も置き、住民も利用できるよう
   にする。近くに駐車場もあるし、散歩がてら買物に行けるようにしたら?…なんて思います。

案5 下田駅付近(東急ストアと、福西青果店前の十字路、マックスバリュー24H側の道)
   が信号待ちで、観光客の車が困っています。大漁という料理屋の隣にある建物(今は
   使用していませんよね)あの駐車場を、市民の協力を得て移転し、道路にしたらどう
   か?道を広くすることはお金もかかるので、今の下田の予算では無理かもしれませんが…。

   以上ですが、観光客は、その土地の歴史、草花などの自然を見る為に来ます。
   そして、土産、食事なんです。
   取りとめのない事を書きましたが、思いつくまま書きました。お許しの程。かしこ

                              下田市在住 匿名希望


           「遊歩道の活用を」

 下田を離れてだいぶ経ちますが、考えてみました。観光については、未熟で本当に素人考えではありますが
 よろしくお願いします。

「市内に点在している遊歩道の活用する。」

 ①下田の歴史の散歩道、ペリーロード、和歌の浦遊歩道などを連絡する遊歩道を整備する。
 ②稲生沢川沿いにも遊歩道の整備する。
 ③市内全域で遊歩道が繋がっているといいのではないだろうか。


*理由

 下田市は海洋浴やノルディックウオーキングで売り込んでいる。→安全な歩道が必要。
 ・遊歩道をつなげる事により周遊性が増す。
 ・ウオーキングイベントでは、集客が期待できる。
 ・ウオーキングは、老若男女誰でもでき、費用もかからない上、健康のために最適であると思う。
 ・決して車では見ることのできない、風景を楽しめ、自然を間近に感じることができる。
 ・市内にたくさん遊歩道がある事は、あまり知られていないのではないだろうか。PR方法
 ・ルートマップの作成。→駅案内所、観光案内所、宿泊施設などで配布。HPでの案内。
 ・ルート別に愛称をつける。・各遊歩道には案内看板や休憩設備(ベンチなど)、照明などを整備。(津波避難対策も)
 ・JR主催のウオーキングイベントや各イベントの誘致。

 
まとめ

 近年はとても健康趣向が強く、歩くことは誰にでもでき、それをうまく観光に結びつけられないかと思い書いてみました。
 静岡県下ではJR東海主催のさわやかウオーキングがとてもさかんであり、多くの人々が歩いて楽しまれているのをよく目
 にします。まずは、多くの人に訪れてもらえるようにわかりやすくPRする事が必要であると思います。
 それにより、多くの経済効果が生れればいいと思います。
 今回の遊歩道の提案は既存の施設を上手くPRして活用できないかと考えてみました。伊豆縦貫道に期待する声がありますが、
 それよりもまず踊り子号の空席を埋める事を考えるべきだと思います。公共交通は失ってしまうとお終いです。
 公共交通を活かした街づくりも必要でないかと思います。

                                榛原郡吉田町在住 小林弘記



             「私の観光大作戦!」

下田温泉株式会社の増野と申します。下田市内に温泉を供給させていただいている会社でございます。
観光客が増えれば、弊社の温泉の売り上げも増えていくと思っています。
人口が減る、老人が増えるといったいわゆる少子高齢化が待ったなしで進んでいます。
このような中で下田だけ観光客を増やそうとしても、かなり無理があります。


国内の観光客は「リピーター」を増やす、外国の観光客が下田に来やすくするといった対応が必要です。

1.リピーターを増やす

 「下田には一回きたらから、もういい、今度は他へ行こう」ということにならない工夫が必要です。
 人を引き寄せるのは、町の人の「温かみ」だと思います。別にそんなにお金を掛ける必要はないと思います。
 お客様へのみんなの「おせっかい」があれば、「良いところだなあ。こんなところが伊豆にもあるんだ。

 今度は「いづ」来ようか」といった具合に広がっていくと思います。

 そうは言ってもまったくお金をかけない訳にはいきません。行政とともに解決すべき項目がたくさんあります。
.
 ①分かり易い案内板を設置する
 ②シャッターが下りた店のシャッターにみんなで絵を描く(明るく楽しくする)
 ③クレジットカードを使える店をふやす。
 ④伊豆急下田駅で現金でしか切符が買えないのは大問題
 ⑤廃墟となっているホテル建物の解体を促進させるための税制を整える

 今持っている現金を心配しないでカードで買い物ができるようになれば、地元に落ちるお金が増えると思います。

 弊社としてささやかですが、今進めていることをご紹介します。
 ①「下田温泉」のステッカーを作り街中のお客様に了解をいただいたうえで、玄関、門柱に貼らして頂いています。
   これは地元の人、旅行客を問わず、「下田は街中のあちこちに温泉があるんだ」ということを分かって頂き、
   これだけ温泉があるのなら、また来ようということになってくれればよいと、活動を進めています。

 ②「湯ったり湯っくり下田温泉」という5種類の色・デザインのステッカーを作りました。
   ホテル等で泊まったお客様に無料で差し上げ、お客様の車のリアウィンドーに貼って頂き「動く広告塔」
   になることを狙っています。ホテル山田屋さんと下田プリンスホテルさんに置いて頂いてます。
   弊社の費用で作っていますが、長い目で見てお客様が増えていけば良いと考えております。
   もっと大々的にやることになれば、費用のことは考えていただきたいと思います。


PDFで添付します。



2.外国人観光客が来やすいようにする

あちこちの案内がほとんど日本語だけで外国人に対しては非常に不親切であると思います。
私たちが「アラビア語でしか書かれていない看板を見ても、全く分からない」のと同じで、外国人は困ってしまうだけです。
これからは特に中国人、台湾人、韓国人を取り込まなければ観光客を増やすことはできません。
どんな案内、チケットでも日本語に英語、中国語、韓国語を併記するべきと思います。
もちろんバスの行先表示もそうですし、標識も同様だと思います。


これからは特に中国人、台湾人、韓国人を取り込まなければ観光客を増やすことはできません。
どんな案内、チケットでも日本語に英語、中国語、韓国語を併記するべきと思います。
もちろんバスの行先表示もそうですし、標識も同様だと思います。


外国人に優しい町に早くしなければなりません。中国で広く流通しているクレジットカードを取り込めるようになれば、
それだけでもアピールできます。静岡銀行、駿河銀行のATMでおろせるような対応ができれば、
さらにアピールできます。


また、イスラム教徒を取り込むためには「豚」「アルコール」抜きの料理(ハラール料理)を増やし、
それがあることをアピールすれば、それだけでたくさんのイスラム教徒が集まってきます。


飲食店のトイレはまだまだ和式の男女共用がたくさんあります。これも男女分けて洋式トイレに変えなければなりません。
西洋人であれば、トイレで手を洗う際は「お湯」がでるのが当たり前です。外国人を集めようとするのであれば、
当然そのためのインフラは必要です。これらの費用をかけないと集客はできません。


                                        下田温泉㈱ 増野裕樹


             「暖かい心」

これからお話することは、「観光大作戦」とは言えない事であると思い、悩みましたが、私の中で日々考えて
いる「おもてなし」に繋がることと思い、筆をとらせて頂きました。

今、40年という歳月を越えても、その想い出が、鮮明に私の心に残り、倖せな気持ちで包んでくれています。
1973年、フィリピンのミンダナオ島。ボルネオ島寄りに突き出した半島、サンボアンガの入江の出来事でした。
私は、長い間、海に生息する貝の生態、日本の貝はもとより世界の海に分布する貝に心ひかれ、フィリピンの
ミンダナオ島、レイテ島、セブ島、ルソン島を周り、貝のロマンに触れるかけがえのない旅をしました。
中でも、生きた化石とも言われたオウム貝を捕獲している、サンボアニガの回教徒モロ族がいる地域は、
非常に危険であるとされておりましたが、こういう機会にめぐまれる事は二度とないと考え、税官の人に着いて
いき、その入江の島に入りました。危険なので、直に言葉を交わさないようにとの約束を交わし、税官の人が
先に歩いてくれました。
やっと歩けるぐらいな細い道が入江の奥へ奥へと続き、あちこちにある、わずかな空地には、上半身裸の異様な
人達がたむろしておりました。そんな光景が続く中、道沿いに座っていた、つぶらな瞳の可愛い少女たちが、
「ジャポンママどこへ行くの?」と大きな声が聞こえてきました。
私は、会話することを止められていたことも忘れ、その三人の少女の方へ駈け寄り、あなたたちの島を見せてもらいに
来たのだと告げました。すると、その少女たちはスッと立ち、私の手を取り、先を歩き、「アブナイ!アブナイ!」
と言って、海面より遙かに高い所に渡された、板切れのようなアブナイ橋を、手を差し伸べて誘導し、
大事なお客様として、2時間ぐらいの滞在を本当に暖かくもてなしてくれました。
そして、いよいよ島を後にする時には、私たちの乗ったジプニーが見えなくなるまで、追いかけてくれました。
民族も国境も越えてなお、真の心が通じ合うことを三人の少女から教えられました。
長い人生の中にあって、この暖かい想い出だけは、鮮明に私の脳裏に残っております。
旅とは、出会いであり、おもてなしとは心であると、その時の事を思い出しては、いつも感じております。

                                     下田市在住 匿名希望


     「孫のチカラ活用・三世代交流の旅GOGO大作戦」


少子高齢社会において、孫と祖父母のつながりには、単なる生物的な関係を超えた社会的・文化的な
意味が隠されているのではないか。じいちゃんやばあちゃんは孫を、孫はじいちゃんやばあちゃんを
特別な存在として特に意識する時代になってきているように思える。
少ない子ども(孫)に、両親とその祖父母4人が行動を共にしたい願望が増している。子ども(孫)
には出費を惜しまない大人が6人存在し、シックスポケッタマネーという造語が生まれている。
また、21世紀に入って、自然や昔を体験する旅、癒しを求める旅に加え、離れて暮らす孫と数日間
行動を共にし、家族を確認しあう「家族をする旅」への変化が顕著になってきている。
このようなことから、少子高齢化社会は、子ども(孫)を大切にする三世代交流旅行が多くなるもの
と予想され、消費のターゲットも高齢者や子ども(孫)に向けられている。
そこで、孫のチカラを活用した三世代交流の旅GOGO大作戦を提案いたします。

1.旅行商品の開発
 伊豆はひとつ(協調)、でも伊豆はひとつずつ(競争)の考えの下で、地区ごとの提案を伊豆全体
 の三世代交流広域商品として開発する。観光の再生に万能の処方箋はなく、ひとつずつ挑戦するしかない。
2.宣伝戦略
 戦略のないつまらない観光キャラバンは無駄である。どの顧客を対象に、どういう情報を流すのか、
 しっかりした戦略を立てて取り込む必要がある。
 全国のシニアクラブ(老人クラブ)や子ども会など、市場を絞ってインターネットやダイレクトメール
 を使い情報を流すマーケティング戦略が極めて大切なことである。
 (例)「孫にありがとう」「じいちゃん・ばあちゃんにありがとう」の気持ちを綴った詩歌・文章を
    公募し、優秀作品を発表する大会を開催する。

                                南伊豆町在住 渡辺 力






                                
東伊豆町在住 植松 学


          「私の観光大作戦!」

伊豆を訪れた方、特に、電車やバスで来てくれた方は、時間を使い、お金を使い、計画して、
はるばる来て下さった大切な方。車で来て下さった方も、急カーブ(笑)をクリアして、
がんばって運転して来て下さった、ありがたい方々です。
皆でお迎えする、例えば、ディズニーリゾートのように、ユニバーサルスタジオジャパンのように、
全体がテーマパーク。住んでいる人も、生活する人も、話している事もすべてがアトラクション!
その中の宿泊施設、観光施設、食事処がアトラクションとしたら、市民・町民はキャスト。
そのキャストが地域を学び、楽しまないと、お客様をお迎えできません。
学校、地域、会社などで、おもてなしできる人材育成をして、住んでいる人、生活する人が、
イキイキとキラキラとして、素敵な人になっていけば、自然といい所になってくると思います。
たくさんの方が地域を知る、泊まって施設に行き、食事をする。
まず、自分たちで利用することから始めましょう。
もちろん、各施設の方には、宣伝して下さる地域の方を最大限サービスしてあげて下さい。

                            下田市在住 ペルリ(ペンネーム)



          
「私の観光大作戦!」


 変な意味ではないですが、ホテルや施設、役所などもそうかも知れません。当然のことかも知れません。
仕事が終わっているので、ニコニコもしないし、タバコも吸う人もいると思います。急いでいる時もあるでしょう。
 観光の方が道をさがしている…自分は聞かれないから、仕事じゃないからと通り過ぎてしまう…。
変わっている私(笑)は何かおさがしですか?と行動してしまう…余計な事かもしれないと思いつつ…。
すれ違う観光の人にあいさつをする。知らない人でも…。
友人からは「変わってるね」と言われたり…。
それでも、こういう事が大切だと…思う方いませんか?

                            下田市在住 匿名希望

          「私の観光大作戦!」


     
長文及び図解入りにつき、PDFにて  こちらをご覧ください

                             南伊豆在住 匿名希望


          「文学、歴史を語らずして伊豆の魅力は語れない」


文学少女(改め)文学おばさんの私としては、
例えば…

「下田東急ホテル」の場合
三島由紀夫がよく泊まったホテル。ということで、とても魅力を感じます。
『三島由紀夫の本名が平岡公威で筆名の「三島」は、静岡県三島の地名に由来する。
「三島」の命名を想起した清水文男が修善寺での同人誌の編集会議を兼ねた一泊旅行のとき、
「三島」を通ってきたことと、富士を見ての連想から「ゆき」という名前が浮かんだという。』
を最近知りました。

2012年1月22日の私の伊豆新聞への投稿を懐かしく読みました。

『 三島由紀夫資料譲り受け喜ぶ

昨年、三島由紀夫について私の投稿が本紙に掲載された日、青島床屋のご主人から
「三島由紀夫に関する良い資料があるので取りにきませんか」
という電話をいただきました。
夕方に伺うと「三島由紀夫と下田東急ホテル」(前田實)という冊子でした。
それは、私が仙台から移住する少し前、2000年12月に本紙に掲載されたものでした。
床屋のご主人は、三島氏の散髪もしたという方で、その時使ったクシなどを額に入れ飾ってありました。
直接三島氏と接した方に出会えてうれしく思いました。
いただいた冊子を正月休みにゆっくり読みました。
中でも冊子の終わりに書かれていた
「30年前に三島が一人で、あの時代の危機の上に一身をさらした。
危機とは分水の境であり、分岐点であり、決断のするところだった。
しかし時代は分岐を避けた。
そして、いまや巨大な闇へとふくらんだ負債の前で、立ちつくしているのだ。
三島由紀夫をいまこそ見直すべき時期である」
の箇所がとても印象に残りました。』

その1年程前に
「三島由紀夫の来た夏」横山郁代(著)を読み、三島由紀夫が下田東急ホテルによく来ていたと知りました。
三島由紀夫が愛した日新堂菓子店のマドレーヌも食べ、横山郁代さんにも実際お会いすることができ感動しました。

私が出掛ける際、必ず「蓮台寺温泉」を通って出掛けます。
その通り沿いにある「蓮台寺荘」は、
『文豪・山本周五郎の愛した宿としても有名。
戦後間もない1949年(昭和24年)、妻と伴ってたまたま訪れた周五郎。
部屋からの庭と、温泉熱で花咲く蓮の眺めが大変気に入った彼は、なんとそのまま1ヵ月ほど滞在したという。(中略)
作家仲間だった尾崎士郎は周五郎を“へそまがり”と称したが、売れっ子作家になっても変わらない庶民感覚や、
常に弱き立場の者の味方であろうという姿勢は、生涯貫かれた。
さて、偶然ここ「蓮台寺荘」
に来てから、その後も何度も 訪れた周五郎…
いわゆる“缶詰め”状態になり、この宿で「竹柏記」「山彦乙女」などの名作を完成させている。』
を読み、『文豪・山本周五郎のお部屋プラン』にとても魅力を感じました。
「周五郎ほど聖書をよく読んだ文学者はいない」
の記述を見つけました。

「人間がこれだけはと思いきったことに
  十年しがみついていると、大体ものになるものだ。」

「人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります。
  どんなに苦しい悲惨な状態も、
  そのまま永久に続くということはありません。
  現在は現在、きりぬけてみれば
  楽しい昔語りになるでしょう。
  まあ焦らずに、悠くり構えるんですね。
  こんな暮らしの中にも、また味のあるものですよ。」

「人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ。
  自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、
  その日その日の苦労をするようになると、
  はじめて他人のことも考え、  見るもの聞くものが
  身にしみるようになる。」

「人間、本当に生きようと思って、
  実際にその生きることに情熱を感じて仕事をしていれば、
  金というものは付随的についてくるものです。」

「この世で経験することは、損得勘定じゃあない。
  短い一生なんだ、
  自分の生きたいように生きるほうがいい。」

 「勤労の裏づけのない富は、人間を誤る。」

『山本周五郎の名言』にはとても感動します。

三島由紀夫の時のように、実際会ってお話しした方が下田にもいらっしゃるのかな~と思います。

伝承秘話『唐人お吉』石垣直樹(著)の中で、
「お吉は、伊佐の世話で、中伊豆にある「東府屋」という旅館に世話になることになりました。」
「唐人お吉館」があり「お吉を下田まで送った際、天城越えをしたとされる駕籠が展示されている」
を知らず、以前「東府屋」のベーカリーで食事をしたのに、「唐人お吉館」を見ずに来た事を残念に思っています。
そんな訳で、「東府屋」にもとても魅力を感じます。

この本の最後の方に
『「お吉物語」が世に広まって数年後、新渡戸稲造博士が下田を訪れました。』
と書かれていますが、『武士道』を読んで以来の新渡戸稲造ファンである私にとっては、嬉しい発見です。
家から車で5分の所にある「お吉が淵」にクリスチャンである新渡戸稲造が寄進した「お吉地蔵」の存在は、驚きでした。

「からくさの浮き名のもとに枯れ果てし君が心はやまとなでしこ」

新渡戸稲造がお吉のために読んだ歌が彫られています。

『お吉物語』の本は

『はじめに
「いじめ」…本当に嫌な言葉ですね。
誰しもが、日々笑いあって過ごしたいと思っているはずです。』

と書き出されています。
「いじめ」についてとても考えさせられる本です。

2014年11月30日の伊豆新聞の記事で、
『東伊豆町の熱川温泉観光協会はこのほど、同温泉を発見したとされる室町時代の武将太田道灌を紹介する
冊子「熱川伝説  泰平の城を築いた男  太田道灌」を作った。
道灌(1432~86年)は、徳川家康が後に居城とした江戸城を築城した人物として知られる。
天城に巻き狩りに来た際に現在の同温泉街を流れる濁川の河口で河床から湧き出た温泉で湯あみする猿を見つけ、
自らも湯に浸かって疲れを癒やしたとの伝説がある。
冊子は数々の伝説に彩られた道灌と、ゆかりの地である同温泉のPRに役立てようと同協会の石島専吉会長が発案。
郷土史を研究する下田市三丁目の石垣直樹さんに文章を、伊東市川奈の市田茂さんに挿絵を依頼し、製作した。』
を知り、歴女になりつつある者として、感心しました。

「文学」「歴史」を語らずして、「伊豆」の魅力は語れない。
と思う一人として、「このワクワク感を一人でも多くの人に伝えたい」と思わされます。



                         
下田市在住 佐生綾子


          「私の観光大作戦!」


下田がどんなだったら行きたいと思うのかしら…?(下田市の観光資源)


 山口県の萩市を扱った旅番組で、「会う人会う人が笑顔で挨拶してくれて、
気持ちが良かった」と訪れた人が言っていたことを思い出す。
 また、今年小さな交流があった。稲梓のある地区でどんど焼きに人々が集まって
いたところ、他県からご夫婦で訪れた観光客が立ち寄った。お二人はトン汁や
だんごを振舞われ、いっしょに燃え上がる火を見て嬉しそうに帰った。
 後日、その時の写真を送ると、丁寧な御礼の手紙が送られてきたという。
昔を思い出し、本当によい思い出になったそうだ。
多分、そういう事なのだろうと思う。
普段から、気持ち良く暮らす。
子供の頃からきちんと挨拶をする。
優しい気持ちで人に接する。
家の周りをきれいにする。職場の周りをきれいにする。公の場所をきれいにする。
一人一人の心の持ちようで、気持ちの良い場所、空間が生まれると思う。
ツーディ・マーチなどで下田に入ったとたん、挨拶をしてくれる人にいっぱい
会った、なんてステキだと思う。
おはよう・ありがとう・こんにちはと言われて嬉しくない人はいないと思う。
例えば…
 ・学校・会社・商店・家庭から共通の挨拶スローガンを公募!
 ・各団体、機関に協力を仰ぎ、挨拶運動を展開する。
 ・観光ガイド、観光タクシーのドライバーの協力を得て挨拶を定着する。

場所(文化遺産・自然遺産の見直しと活用)
 どうしても、ここだけは観てください!どうしても、これだけは体験してください!
を、若い世代・中高年の世代それぞれに問うてみる。思わぬ穴場があるかもしれない。
例えば…
 ・ここだけはと思うスポットを出すだけ出してもらい、ランキングをつける。それも季節別に…。
 ・それをもとに、歩いて巡るパターンを5コースくらい作る。マイカーを使って巡るパターン
  も5コースくらい作る。観光バスの市内周遊にもランキングの結果をお知らせし、
  活用してもらえればいいですし、コラボしたら面白いものができると思う。
 ・そんなおすすめ観光巡りを、イラストたっぷりの手書きのパンフレットで紹介する。
  プロのイラストレーターにお願いするのではなく、今、素人でもかわいいイラストを描く人
  は、身近にいると思う。小学生・中学生からの応募、高校の漫画研究会とか、趣味で
  イラスト描いてる人の協力を仰ぐ。下田市民を巻き込んでやったらステキなものになると思う。

イベント(やはり、観光地にはイベントがないと…)
 水仙祭・あじさい祭・黒船祭・下田太鼓などの歴史あるものは、内容を充実させながら、
続けていくことは大事と思うが、長い期間出来るものと短期にものを、本来ある祭、イベント
の間に組み込んでいく必要があると思う。(リピーターを呼び込む・話題性で宣伝効果を狙う)
長い期間のイベントのいい例が、稲取のつるし雛、短期でいえば熱海の花火等。
しかし、イベントだからといって大風呂敷をひろげなくても、今ある下田の財産で実現可能なものは
あるように思う。
例えば…
 ・加増野ポーレポーレでそばを食べながら、星の観察会や落語を聞く会とか…。
 ・春は下田市の和菓子やさんとコラボし、間戸ヶ浜海浜公園の花の風車の会場で、
  好きな和菓子をチョイスしお茶とセットでまったりしてもらう。
 ・菓子クーポンを発券し、好きなお店の菓子やケーキを1個づつ3件から買えるとか…。
 ・季節ごと期間限定朝市を開催。
   日替わりで、下田市の魚、干物の市・野菜の市・くだものの市・雑貨の市等々
 ・夏は、大盆踊り大会の会場で、線香花火をどれだけ長くやっていられるか、すいかの
  種飛ばし、金魚ならぬ、めだかすくい、かき氷の早食い等々…。
 ・秋は、収穫祭として、下田市でとれた新米でおにぎり祭。田んぼで開催。
  自慢の漬物の即売会。チケットを購入すると、好きなおにぎりと汁物と交換できるとか…。
 
 問題は、長期で人をひきつけるものですが、やっぱり日本人は花が好きだと思う。
 水仙や紫陽花以外に見に行きたいと思う花を植えたらと思う。
例えば…
 ・桜の木の寿命は意外に短い。だから今から桜の木を植えるのはむしろチャンスかも…。
  園芸のプロの意見を伺い、秋に見ごろの花や伊豆でも紅葉の美しい樹木を植えたらと思う…。
 ・木1本にオーナーを市内外から募ってみる。子どもが生まれた記念樹とか、喜寿・米寿の
  記念とかに…下田公園や敷根公園、海浜公園にオーナーのプレートをつけて植樹していったら
  どうでしょう。下田公園は、紫陽花祭、黒船祭だけではもったいない。
  もっと魅力ある場所になれると思う。
 ・弥治川沿いのとてもいいスポットを大切に、出来れば商店街も町ぶらしたいと思えるスポット
  が増えるといいなと思う。
 ・町並み外観を変えるのはお金がかかる。ならば店名の看板だけでも統一観がありながらも
  個性のあるセンスのよいものにする。下田市出身のデザインを学んだ人や現役の美大生、
  高校の美術部に公募する。採用された人に、デザインした意図や苦労話と共に、そのお店の
  セールスポイントを広報や、観光マップに載せるとか…。
   ※埼玉県の川越のお菓子横丁は大規模なものではないが、町並みといい、商品といい、
    人を引きつける楽しさがあるように思う。

最後に…
 多分アイディアは、様々出てくると思う。それを多方面に協力を求め、互いの目先の利害にとらわれず、
フットワーク軽く実行にうつす事のできる組織がなくては、前には進めない。ここが一番の難関だと思う!
 下田をどんな街にしたいか?観光客のみならず、住んでいる人々が豊かでなくてはと思う。
 多くの年齢層・障害者にもやさしい、若い人が下田市に残りたいと思うような魅力ある街になることを
切に望みます。

                                下田市在住 匿名希望


         「地元人良さ知らない下田」

8月23日、高2の娘が東京の辻製菓専門学校のオープンキャンパスに行く計画に私も興味が
あったので同行しました。
娘が実習している間、私と同年代(多分)の男性職員と話をしました。
私が下田から来たと知ると急に目が輝き出し、「つい先日2泊3日で下田へ行って来たばかりです。
大学が日大三島キャンパスだったので、そのころから下田はよく行きました。食べ物はおいしいし、
海はきれいだし、本当に良い所ですよね」と言われ、下田市民の一人としてとてもうれしく思いました。
私が10年前の移住して間もないころ、仙台から来たと言うと、地元の人に「何でそんないい所から
こんな所へ来たの?」と言われた、と話しました。
「下田の良さを分かっていないんですね」と2人で同感しました。
オープンキャンパスに行ってから、新聞記者から転身し、調理師専門学校の経営者になると同時に、
世界的な料理研究家となった故 辻静雄さんにとても興味を持ちました。
また読みたい本が増えてしまいました。
「人間は自然と闘うことで勇気を養い、人間社会の中で英知を学ぶ」(ヘミングウェイ)。
私は「田舎時々都会」がいいと、今回もつくづく思いました。』

これは2014年8月31日の伊豆新聞に掲載していただいた、私の投稿です。

私はその後、ふっと(下田市民として悪い印象を与えなかっただろうか?)
との思いに駆られました。

下田から出れば、私は下田市民の看板を背負っている事になる事に気づいたのです。
私が下田市民として、誇りを持った対応ができなければ、下田の印象を悪くしてしまっただろうと思いました。

まずは自分の住んでいる所を自分が好きになり、外へ出た時に、自慢できる事が必要だと考えました。

息子はアメリカに留学して、日本の良さに気づいて帰って来ました。
4月から東京で会社員ですが、下田の良さにまた気づく事を信じています。
そういう価値観で育てたつもりなので…。

下田の良さを沢山アピールして欲しいと思います。
「会社の会長がホテルジャパンの会員で、下田にはよく来るらしいよ…」
と以前言っていました。
「2月3日にプレゼンテーションをしに行く」と言うので、
「会長に下田の魅力を聞いて来て」
とお願いしましたが、断られました。いつか聞いて欲しいと思っています。
子供達が自分のふるさとを自慢できるような教育が必要だと思います。
伊豆から出た時に、伊豆の素晴らしさを、伝えられるように。
先日娘が「下田は好きですか?」と問われた際「はい、好きです」と即答していてホッとしました。

外へ行けば一人一人が出身地のブランド品であり、一人一人が自分の出身地に良い印象を持ってもらえるように、
努力する必要性を感じました。

その人が活躍していたり、魅力的な人だったら、出身地が気になり、行ってみたいと思わないでしょうか?

若者がどんどん流出してしまうピンチをチャンスにかえましょう!

                               下田市在住 佐生綾子


             「私の観光大作戦!」

(はじめに)
伊豆は津々浦々に顔が違う、白砂青松の砂浜や荒々しい波が砕け飛ぶ岩浜、入り組んだ港町の伊豆石やなまこ壁の風情。
そこにある伊豆人の暮らしの営み、相模灘から昇る朝日、駿河湾に沈む夕日、どれをとっても旅人には郷愁を誘い、
心を捉えて離さない風景という。放浪の俳人、種田山頭火が「伊豆はどこでもよろし…春には野宿が出来る」
と詠んだ如く、温暖な気候風土と湧き出する温泉、天城山系から流れる多くの清流、海山の幸に恵まれ人情厚く、
古来より文人墨客や旅人に愛され隆盛を極め続けてきた伊豆が、いま観光客の減少という伊豆離れが進んでいる。

ニーズの多様化、アクセスの不便さが要因であるとするならば、余りにも伊豆人として淋しい。
もっと他に原因があるのでは…過去の栄光に慢心し、移り変わる時代を読む努力が足りなかったのではなかろうか…。

そんな時、「私の観光大作戦!」アイディア募集。私なりの「伊豆再生」への道。いくつかを提案いたします。

   【THIS 伊豆 レッツゴー!伊豆の旅・得々キャンペーン】

国・県・市町からの観光補助金・政府の地域創生資金・各省庁の行う事業資金を充当し、
ダイナミックにアクションを興して伊豆をアピールする。


1.11月12日を「いい伊豆の日」に制定する。
2.11
月を「伊豆半島お客様感謝月間」とし、各種の得々サービスの実施とPR。

3.期間中お泊りのお客様に、平常価格より2割引の特別価格にて宿泊提供。
4.次回ご利用の際に使える、3~5千円の優待券プレゼント。
5.お帰りの際、宿泊客に飛鳥乗船の世界一周クルージングペア招待・無料ペア宿泊券・観光施設無料招待券・
 温泉会館無料招待券・地場産品プレゼントなどが当たる応募券の贈呈。

.お泊りのお客様全員にミニボトルワイン・地酒・ワサビ漬けなどのミニサイズお土産プレゼント。

●「いい伊豆の日」制定を記念し、「宿泊感謝得々ポイント」を実施。旅館ごとにカードを作成し、
  同一旅館 10回泊まればポイント満杯とし、次の1回は無料宿泊できる制度の実施。

●伊豆の風景写真コンクールを実施する
●心に残る伊豆の旅「忘れられない想い出」作文募集をする。
●伊豆ファンクラブの設立。伊豆出身者を対象に「ふるさと応援団」制度づくりと、民間宣伝大使の委嘱。
●伊豆が舞台となった作品の映画祭や「天城越え」などの伊豆を舞台とした歌の全国コンクールの開催。
●伊豆半島をくるっと満喫する、ジオパークめぐり、観光施設めぐりのスタンプラリーやウォークラリーの実施。
●伊豆半島巡りマラソン大会・駅伝大会の開催。
●制定を記念し、伊豆共通の「伊豆へ行こう」ロゴマーク・ワッペン・ステッカー・ポスター・ゆるキャラ
 などのデザイン公募とその製作。


       ※以上を、新聞、テレビ、雑誌、マスメディアを有効活用し、
      「THIS 伊豆 レッツゴー!伊豆の旅・得々キャンペーン」として発信する。


より効果を高めるため、旅行エージェント会社の伊豆送客コンクールを実施する。

       【地域住民を主軸とした伊豆まるごとプロモーション発信】

誘客には、それとなる特効薬や決め球はない。いずれも長い目で見れば一過性のものでしかない。
どうしたら息の長い愛され続ける伊豆になるのか考察をしてみた。

観光とは、その土地の光を観る事だという。人は旅に何を求めて来るのであろうか?
何に感動するのであろうか?「ディスカバー・ジャパーン」の言葉が語られて久しい。
お仕着せでない「ありのままの姿」に心が安らぎ落ち着くという。
ならば、今ある物の中に旅人の心をつかむ方策が…。

“あるもの・探し・みがいて発信”

]
伊豆は観光資源に恵まれた土地である。自然・温泉はもとより歴史と文化も息づいていて、
アクティブに遊ぶアイテムも多く、静かに過ごしてリフレッシュ出来るスポットも数多くある。
旅人にとっては日本一の旅行ステージであると信じる。
唯、残念ながらそれらを活かし、売り込んでいく努力が足りなかったのではなかろうか?

そこでもう一度、それぞれの地域の持っているもの、良い所の「あるものさがし」をし、
それらを見つけ出し、再確認し磨いて発信をしていくシステムを再構築する手法の確立が急務と思われる。

平成19年、当時の石川県知事が観光立県として、訪れる観光客への満足度向上を目指し、
「おもてなし満足度日本一静岡県宣言」をし、地域の人々が、ふるさとの魅力を①知り②好きになり③上手に伝える。
その事がおもてなしの基本であり、満足度の高い観光地になると唱えました。

正にその事が“あるもの探し”であり“磨いて発信”の手法であります。
そこにしかないもの・そこに伝わっているもの・心が洗われる場所・楽しみ感動するもの・
歴史やロマンを体感できるもの・そこでしか食べられないもの・そこでしか見られない品や物…等。
もう一度地域を見直し発掘し、それを肉付け(物語性)をつけ、付加価値を高めて外部に発信をしていく、
その手法が“あるもの探し・みがいて発信”のコンセプトです。

今回基調講演される三人も、「ムーンロードがもたらす伊豆の光」「太田道灌伝説で熱川温泉の再興を!」
「稲取の食文化を再発進し地域に光を」と、今おかれている中で、
地域のありのままの姿・昔から伝えられている話・地域が大切にしている食文化等…。
あるものさがしの中から、物語としての価値を磨いて発信しております。


「伊豆の再生」のキーワードは、それぞれの地域で、それぞれが持つ歴史・文化・景観・文学・食・遊びを
もう一度掘りおこし、それらを磨いて伊豆はどこへ行っても面白い・楽しい・食も美味・癒されると、
訪れる人に長く愛され喜んでもらえる“あるもの探し”をし、プログラム(商品化)をして、
外部に発信していく事が効果ある誘客につながる事と信じます。


(みがいて発信手法)
 ・メディア・テレビ・旅行誌・新聞・エージェントへの売り込み。(定期発信)
 ・伊豆地区住民による、友人・知人・縁者へのメール・ハガキ・電話等による依頼
 ・名刺ウラ作戦(伊豆人の名刺の裏に「伊豆へ来てね!」の誘客PRやロゴマーク等のPR)
 ・民間ITの活用(伊豆地域のホームページ開設者に伊豆の観光情報を発信してもらう)
 ・誘客用の伊豆の魅力を伝えるDVDやパンフレットの制作ポータルサイトの立ち上げ
 ・伊豆観光アンテナショップの首都圏開設。
 ・マスコミ&エージェントを対象としたモニターツアーの実施。
 ・稲取温泉のあるもの探し

①雛のつるし飾りまつり
 江戸時代から、子供の健やかな成長の願い、祈りを込めて作られてきた稲取の風習を、
 平成5年に婦人会が、郷土の文化を後世に伝え続けようと製作に取り組み。
 町民文化祭に作品を展示した事が火付けとなり、旅組婦人部が翌年、
 「雛のつるし飾りまつり」を立ち上げ、稲取の春の一大イベントになる。

 一針一針に子供の成長の願いを込める物語を加えて全国発信をした。

“あるもの・探し・みがいて発信”の成功例。

②細野高原ススキイベント
 平成20年“あるもの探し”の会議で企画。山の観光も売り出そうと細野高原のススキを目玉に決め、
 都電荒川線の電車の中吊りに“知られざる絶景”稲取細野高原のすすき、としてカラーポスターにて発信。
 その年の秋…週刊新潮が「知られざるススキ高原」のタイトルで、カラーグラビアで大々的に紹介。
 新聞、テレビ、マスコミ等で話題を呼び、翌年は稲取旅組、次の年からは東伊豆町観光協会が主管し、
 パワーアップ。「細野高原イベント」とし、東伊豆の秋を告げるイベントに成長…。


 これも、“あるもの・探し・みがいて発信”の成功例。

③肉チャーハンで町興し
 昭和30年頃、稲取に生まれた肉チャーハン。後を引き、また食べたくなる味は、
 稲取のソウルフードとして、地区10店もの店が、それぞれに自慢の肉チャーハンを提供。

 稲取B級グルメ肉チャーハンとしての誕生秘話(物語)や各店の場所、肉チャーハンの特徴を写真入りのパンフで紹介。
 “忘れられない味・稲取の肉チャーハン・一度ご賞味あれ”と情報発信。
 今では、テレビの旅番組や旅行誌等で紹介され、伊豆へ来た観光客が、“昼は稲取の肉チャーハン”と立ち寄ってくれる程、
 人気のある一品になりました。
 これも、今あるものの中での発信です。


④オススメ!!稲取体験ツアー

“あるもの探し”の追及から、それらを着地型観光商品として位置づけ、約30のプログラムを企画立案。
 365日いつでも受け入れ、即日申し込みもOKの稲取体験ツアーを、平成19年から開始。
 内容充実を心掛け、外国人向けのマップや風呂めぐりマップ、ウォークラリーマップ、誰もが稲取を知り、
 伝える事の出来る「稲取ドリル」の発行等…全てが“あるもの探し”から生まれたものです。


※これらが、稲取の地域住民を主軸にした、稲取あるもの探し、磨いて発信した。
 “稲取まるごとプロモーション”であります。伊豆は南に行くほど…美しい。

 それぞれの市町の持つ資源(お宝)を再発見し、伊豆まるごとプロモーションをし、
 “伊豆は一つ”と連携を取りながら、伊豆まるごとプロモーションとして、観光伊豆の再生策に
高めていきたいと思います。

(おわりに)
 「伊豆の再生」を願い日頃感じている事を思い綴りました。
 唯、人は人の心に感動するという。どんな手法よりも最重要なのは、
 伊豆に住む私たちが観光客を心から迎え入れる「ようこそ伊豆!」 “おもてなしの心”こそが
 訪れる人の心に残るサービスであり、この伊豆に住む私共のホスピタリティでもあります。

  私も稲取温泉「町案内人」として、「ようこそ稲取へ!」と、心を込めて訪れてくれるお客様を案内します。

                                   東伊豆町在住 シントコ理容室 鈴木邦夫